10-FEETの新譜「シエラのように」変わらぬ音楽への愛を抱きしめて
こんにちは、料理研究家のダイちゃんです。今日は音楽の話をさせてください。
どうしても書き留めておこう、この思いを形にしておこうと思ったので書いています。
※最終的にはもっと追記して、京都大作戦、10−FEETのことをしっかりと書く1本の記事にしたいですが、、
今日は「シエラのように」を聴いて受けた衝撃と想いをどうしても書き留めておきたいと思いました。今まであまり10−FEETに触れなかったのは、文字で書ききる自信がなかったためですw
10-FEETというバンドのこと(ちょっと簡単には語り尽くせない)
これを読んでいるあなたがご存知かどうかわかりませんが、10-FEETというバンドがあります。
デビューしてすでに23年、ロック、ミクスチャー、ラウドミュージック(というジャンルでくくれない幅広さ)など
ずっとシーンの先頭を走り続けて、ライブの数もものすごく、夏フェスは引っ張りだこですべてトリ。
その上京都大作戦という「メンツが発表されるまえにチケットが完売する、争奪戦になる」音楽フェスを10年以上、地元京都で開催している「プロミュージシャンだれもが認める、本物中の本物の3ピースバンド、ライブバンド」です。
※正直この文章の100倍くらい、すべて伝えるには言葉が必要なくらい。。
どんな音楽なのか?そして彼らがどれだけファンに愛されて、成長してきたかというのは、下記の動画を見ていただくのがいいかなと思います(独断と偏見の抜粋です。正直この100倍は必要です※全部100倍)
過去ライブ映像の抜粋
迷ったらこの曲を、この映像をどうぞ
京都大作戦の素晴らしさがダイジェスト
そんな彼らも多分にもれず、コロナ禍の影響を受けて活動を留めることを余儀なくされました。
今年の京都大作戦もやむなく中止(チケットは払い戻し。私は当日東京で、事前販売で買ったTシャツで過ごしました)。
Zoomによるミニライブや、トークライブなどを見てはいたものの、ライブを見れないまま、ニューシングルの発表を聴きました。
そのタイトルは「シエラのように」
最初にタイトルだけ聴いたときはピンとこなかったのを覚えています。
音源を聴いて
そして昨日、ついに新譜リリースに伴い、曲全体を聞くことができました。
その最初の歌詞は「どうやらここでお別れみたい」というフレーズ。
そして「もう会えないみたいだね」「僕にとってあなたにとって 僕らどうだったかな」
「切なさも寂しさも 愛しさの分だけ」と続いているのです。
ここでやっと私は
「今までライブで僕らファンとぶつかり合って、命を削って、突っ走ってきた時間が、このほんの数ヶ月でまるで幻のように過去になったこと」
「あのぶつかりあえた時代、はもう別の時代であること」
「その想い出の愛しさの分だけ、切なさも寂しさも深いこと」
という歌詞と現実、思いとのリンクを知りました。
「変わり始めた僕やあなたは さよならさえも受け止めて 愛を残して想い出まで シエラ シエラ」
音源だけを聴いても、変わってしまった全てと、ライブハウスや音楽から「みんな心も身体も離れてしまったんじゃないか」とメタファーを込め、その切なさに胸が苦しく、そしてまた引き寄せられました。
プレミア公開のMVで、ほんとうの意味がわかった気がした
そして、昨日の19:00にMVが公開されました。
それをみて、歌詞に込められた思いと悲しみ、そして決意を改めて再確認することになるのです。
そこには、彼らが大切にし続け、僕らがずっと愛して憧れ続けた、京都大作戦の舞台である「太陽が丘」がありました。
「信じられないことは 信じることでしか生まれないなんて 今の僕には眩しすぎて」
この歌詞で終わる歌を聞いたとき、
「もう以前のように音楽を聞けない、ライブで身体をボロボロになるまで音楽を全身に浴びることはできない」ということへの悲しみと寂しさ、郷愁でその気持ちをまとめようとしていた。
でも、そこに映るのは「さよならさえも受け止めて 愛を残して想い出まで」と歌いながらも、たしかに前を向いて、
「変わってしまったことも、もうもとに戻らないことも、泰然と受け止めて、そこに立っている」3人の姿でした。
舞台設備のない太陽が丘の空の下、歌う彼ら。
夜になり、今までの大作戦の映像をバックに、歌う彼ら。
ステージがなくても、観客がいなくても、雄大な山はそこにあって、僕らが手を伸ばせば、想いを切らなければ、彼らはそこにいるのだと。
思えば彼らはいつもそうでした。
激しく、強く煽りながら、その言葉にはいつも優しさがあって
繊細さと危うさを常に持ち合わせながら、必ず僕らを笑顔で帰路につかせてくれる。
だから、これだけシーンのトップにいても、
みんな「俺たちが支えられているように、俺たちも10-FEETを支えてるんだ」という気持ちでライブにいき、音楽を聞ける。
その究極の形が京都大作戦でもある。
すべての想い出も思いも背負って、愛も何もかもこの数ヶ月で生まれた距離で消えてしまうんじゃないか。
そんな不安も切なさも孕んでいるのに、太陽が丘で想い出とあの風景たちをまとって歌う彼らを見て、
そのたった6分の映像を見て、そのあとすぐに連絡した、10−FEET好きにしてくれた友人も僕も、一言目はこうでした。
「これが、10−FEETなんだよね」と。
強制も強要もしていないのに、理解して包容して、諦めているようで全く諦めてない。
今この感覚を、このタイミングで音楽にする強さ。
そしてその視線の向こうに、音を向ける先に確かに私達ファンを見据えているんだな、と伝わるすべて。
そうだよね、これだよね。そう思えました。
まとめ 想い出も音楽も止まらないから
10-FEETは昨日10月14日から地元京都でライブツアーをスタート、2部制で1公演40分と厳しい制限ながら、ライブの現場を再開しています。
チケットは争奪戦、私もまだとれていませんが・・引き続きチャレンジする予定。
またカップリングも名曲なので、ぜひサブスクなどでもいいので聴いてみてくださいね。
語り尽くせないな、、、また追記したいです。
CD特典のエコバッグ
映像の最後 21年7月のカレンダー、そして4と10をさす時計・・
7月といえば京都大作戦の季節。静かに楽しみが膨らみます。
過去に私と京都、音楽への思いについても書いたので、合わせて楽しんでいただければ幸いです。