料理研究家・煮込みスト™︎ ダイちゃん公式ブログ

【自己紹介】ダイちゃんについて

 
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料理研究家、料理で人生を楽しくする人。2017年、会社勤めの激務やストレスで体調を崩したことをきっかけに自炊経験0から料理を始める。食の改善で心身が回復し、料理にのめり込む。2019年より煮込み料理研究家(煮込みスト)として活動開始。2021年からは企業レシピ開発や料理の連載、地上波TV出演など活躍の幅を拡大。2022年2月、料理で人生を善くする人を増やしたい思いから、料理の楽しさを伝える活動「Cooking For Life(クッキングフォーライフ)」をスタートし、料理教室やケータリングを行う。美味い飯と酒マニア、音楽好き。料理と食への探究心は人百倍で、お客様から「メールや提案の文字から味がする」「美味いへの発想が無限」と言われるほど。2022年、初のFMラジオ出演に続き農林水産省からの熱烈なオファーで「NIPPON FOOD SHIFT」活動における「ニッポンの食NEXT座談会」に出演し日本経済新聞に掲載。大分県出身、都内在住。※「煮込みスト™」は料理研究家ダイちゃんの登録商標です。
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ダイちゃんのプロフィール

名前: ダイちゃん

ダイちゃん is…

料理研究家/Cooking For Life主宰/煮込み料理研究家(煮込みスト)/コンビニ料理研究家/独身男性の料理力を上げる料理研究家/食を通したコミュニケーションアート(場作り、交流)クリエイター/フォトグラファー

■主宰プロジェクト

人生をより善くするための料理レッスン “Cooking For Life
独身男性が美味しく毎日の食事を作れるようになるためのプロジェクト “男子定食” 
地産地消のサンドイッチケータリングとクラフトビールを楽しむ “Wizardry Foods” 

■1982年1月2日生まれ。松坂世代の1歳下世代。
大分県臼杵市出身。18歳で大阪、22歳から東京。
東京のホームタウンは三軒茶屋

大企業勤務のストレスや不摂生で体調を崩した2017年に自炊経験0から料理をスタート。
経験0から4年でTV出演、レシピ賞受賞、各社アンバサダーなどを兼任。

自身が料理を通して心身を改善し、人生が上向きになった原体験をもとに「人生をより善くするための料理」を伝えていきたいという志から「Cooking For Life」プロジェクトをスタートした。

■得意料理
煮込み料理、キャンプ料理、塊肉料理、コンビニ食材活用料理、おつまみ全般、即興料理、創作サンドイッチなどを得意としている。
ロックバンド(THE YELLOW MONKEY/The BONEZ/Mr.Childrenなど)にインスピレーションを受けたオリジナルメニューも開発。

■受賞ほか経歴

2020年ストウブ公式レシピ賞
2020年バーミキュラ会員サイト「MY VERMICULAR」人気ランキング1位
2020年公式レシピブック「DAICHAN’S OFFICIAL BOOK」を発売
2021年地上波初出演、フジテレビ系列「林修のニッポンドリル」レシピ開発・監修を担当
2021年フジテレビ系列「Kinki Kidsのブンブブーン」に煮込み料理研究家として出演
2021年よりWEBマガジン「soupn.(スープン)」にてレシピとコラム連載
2022年1月よりkubellフライパンアンバサダー就任
2022年2月より高知県クッキングアンバサダー就任

レシピブログ公認第4期ネクストフーディスト
食育健康アドバイザー資格保有

■性格 
自分でも思うし100%人にも言われる「変わり者」
真面目、ひとり好き、新しいものが好き、好き嫌いが激しい、など
コミュニケーション能力が桁外れ、と言われるが自分ではよくわからない

■好きなこと 
料理、音楽鑑賞(ライブも音源も)、プロレス観戦

■嫌いなこと

タダ働き、クリエイティブに敬意のない値引き依頼や条件の雑なオファー、自分の中で要件もまとまらないうちにすぐ電話してくる人

■好きなミュージシャン 
THE YELLOW MONKEY
The BONEZ
Mr.Children
10-FEET
Dragon Ash
東京スカパラダイスオーケストラ
The Birthday
ROTTENGRAFFTY
打首獄門同好会 他

■憧れる人(敬称略) 
“LOVIN”吉井和哉(THE YELLOW MONKEY)
谷中敦(東京スカパラダイスオーケストラ)
JESSE(The BONEZ、RIZE)
T$UYO$HI(The BONEZ、Pay money to my pain)
堤人美(料理研究家)

■好きな女性芸能人(敬称略) 
木村多江
野呂佳代
赤江珠緒
松井玲奈

 

ダイちゃん’s PROFILE with STORY

■大分県生まれ~就職で東京へ上京

大分県臼杵市という人口約3万人の片田舎の、畳屋の息子として生まれました。
自営業だから自分の親の仕事を目の前で見れる喜びはありましたが、正直家庭環境は荒れていました。

「甘やかされて育った」みたいに自分の親に言われることがありましたが、父親が浮気したり、親戚の中で揉めたり、家の中で両親怒鳴り合いの喧嘩を見るのがしょっちゅうだったので、このときに「結婚は幸せなものではないんだな」「家族なんて確かさもないあっけないもんなんだな」と刷り込まれた気がします(笑)

ダイちゃん

 

「運動・外見・勉強」という思春期にモテる要素が全くなかった自分は、華やときめきのない地味な、
楽しみはプロレスとテレビゲームだけという青春時代を経て何とか受かった大学へ進学するため大阪に上京します。

大学デビュー!なんて言葉もありましたが、特に華やかなこともなく(ささやかに初めての恋愛とかもありましたが)、
単位を取りバイトをするだけの日々。

 

今の自分しか知らない人には「ネタでしょ?」と言われるのですが、本当にさっぱりモテませんでした。いや、今も別にモテはしないのですが。18歳までは、本当に輝きなんて一切なく、ただただコンプレックスを積み重ねる日々でした。中高の同窓会なんて行く気しないもんねぇ。とにかくこの田舎を出たい!というのが進学と勉強のモチベーションでした

ダイちゃん

 

■大企業に就職し苦戦(前時代的パワハラが横行する時代でした)

就職活動の結果なまじっかマンモス級の大企業に滑り込んでしまいました。
※自分の所属学科の就職率は20%とかでした。おいおい。。文系で8割が女性でしたが、
今考えるととんでもない数字でした。あの人達は人生どういうプランだったんだろ。。

東京の大企業の同期はといえば、ほとんどが都会の学校で華やかな青春を過ごし、
「1位・レギュラー・モテる・勝つこと」しかしらないであろうエリートばかり。
スペック違いの異世界に来た気分でした。

最初の仕事は某製造業のシステム更改をやっていました。

それは上司、先輩のパワハラが深刻な、入る前から大炎上中プロジェクト
(例:書類の句読点が間違っていたら破られる、オフィスで首根っこつかまれて恫喝される、
先輩が集合時間の伝達を間違えたにもかかわらず、確認の上その時間にいったら現場作業員50人の前で
ペットボトルを投げつけられて恫喝される、など枚挙に暇がないです。
先輩同士がお客様の前で怒鳴りあってたこともあったな。今なら即コンプラ案件ですね・・・)

平日は終電まで、土日も仕事だったり出張する日々。奮闘したものの、長時間労働とストレスで心身がボロボロになりました。

当時はその世界に適応できない自分がおかしいのだ、と自身を責め続ける日々だったでした、
今思うと異様な環境だったとわかるから、人間の思い込みというのは恐ろしいものだと思います。

同じフロアの別の課の先輩に飲み会で「ほんとにお前のところのプロジェクト大丈夫か?やばくないか?」と声をかけられたりしていたなあ、おもえば。
この頃のダメージはその後の人生での低い自己肯定感につながった核心があります。なので、辛い思いをした人の気持ちが凄くわかるし、ケースバイケースを無視してなんでもかんでも自己責任論とか振りかざす人は苦手です。人のせいのことだってしかたないこともある。そうして乗り越えて過去を捨て去って、幸せに向かってアクションするきっかけにすればいいと思います

ダイちゃん

■「やりたいこと」があっていいんだ、というはじめての経験

とにかく都会の生活に食い下がり、心身を削りながら生きる日々。

といっても、生きる場所を変える、という方向になかなかなりませんでした。
なぜかと振り返ると、当時は「こうしたい」「こうなりたい」が
「一切なかった」んですね。それまで「何かを真剣に頑張っても、心から報われることはない」
という経験しかできていなかったのも大きいのかもしれません。

ただ、生活のために、今目の前の「やらないといけないこと」をこなしていました。

なんとか踏ん張りつつ、楽しくなくてつらいだけの会社の仕事だけではやりきれなくなり、
「何か表現したい、作りたい」と思った僕は、それまで使っていたWindowsパソコン(たしか九十九電機で買ったマシンでした。懐かしいなぁ)が壊れたタイミングでiMacを買いました。

白樹脂モデルからアルミモデルにモデルチェンジした最初のころのものでした。人生初のMacです。

見よう見まねで映像ソフトを触ったり、グラフィックを書いたりしていました。

そうしたなかで映像を作ること(映像と言っても、スライドショーに近いものですが、、)にのめりこんでいき、友人の結婚式のプロフィール映像などを作っていました。

お店で話したら興味を持ってそれを見てくれた「ザ・グレート・カブキ」さんの奥様が(ご夫婦で「かぶき」という居酒屋をやっていて、その前の年くらいから足しげく通っていた)

「2008年に開催するイベント(かぶき祭り)のエンディング映像を作ってほしい」

とオファーをくださいました。

 

 

とても大切なイベントの最後に流れる映像ということもあり重責ではあったのですが、週刊プロレスさんやカブキさん本人の秘蔵写真、私がコンデジで撮影した写真(当時はまだ写真撮影を今ほど行っていませんでした)、コンセプトに合わせた動画などを編集した動画が大成功し、新宿FACEで観戦していた大多数が大号泣という体験をしました。

 

この時以降、カブキさん一家にとても深く付き合わせていただけることになり、
2014年(第2回かぶき祭り)、2018年(第3回かぶき祭り)と継続して制作させてもらったことは人生のハイライトと言っていいくらい素晴らしい体験となりました。

 

 

プロレス好きで上京してきてこんなことさせてもらえたら、ファン冥利どころの話ではないです。それまでにも些細な成功体験はありましたが、このことは人生でもっとも大きな節目の一つでした。

 

 

 

そのとき制作した映像は、今でも常に僕のiPhoneに入っています。左下が2008、左上が2014、右上が2018。2014は自ら使いたい曲のアーティストに交渉しました(松本英子さん)。2018はウカスカジーの「anniversary」でしたが、これもイベント主催の方がGAKU-MCさんに伝えてくれました。すべてが一生の宝ものですね

ダイちゃん

2008の映像は僕の人生を支え、生きる理由をくれた曲「彩り/Mr.Children」を使用

 

この経験は、

「自身が好きなことを、好きな人のために、質をとことん高めて、本気で提供する」

ことで、相手も、自分も喜んで、一生「やってよかった」と思える仕事ができた瞬間でした。
※それまでは残念ながら、昼間の仕事でどれだけ頑張ってもそんな気持ちにはなれなかったからこそ。

大好きな二人 「東京の両親」になってはや12年

写真は2018年のかぶき祭り打ち上げにて

 

■「やりたいこと」を「自分で選択」していいのかな、と思えた2010年

2010年、会社の中の付き合いだけでは今後の人生の選択肢が狭まると感じ、勉強会や交流会などに通い始めました。自分でイベントを主催したこともあります。

「プロデューサー気質だよね」ということを人に言われることが増えたころです。

そうした付き合いの中で、どれだけ自身が固定化された観念や価値観に拘束された環境で働いているかを痛感し、「自身で選択し、表現する手段を持ちたい」と考えるきっかけとなりました。

生活の糧を得ていたのは当時のお仕事だし、たくさんの人にお世話になったので、とても感謝していることに変わりはありません。

ただ、実際今の生き方でも仕事でも役立っているのは、この当時の仕事で身に着けたスキルではなく、自身で選択して学んだ付き合いや勉強から得たものがほとんどだなぁ、と今は思うのです。まあそれはそうですよね、やっぱり会社の仕事は責任感は持ってやっていても「いわれたことをやらされている」姿勢でした(プロとしては努力不足だったということでもあります)。
半面、自分で選んでやること、行く場所、付き合う相手は、真剣であるだけ身につきます。

長く付き合っている友人もほとんどそうです。残念ながら当時の会社の人との付き合いは今一切ないですね。。

※一時期それはどうかなとも思いましたが、ある人に「人間関係も仕事も年齢や自分の変化に合わせて新陳代謝していくものだからいいんだよ」と言ってもらえて気が楽になったのを覚えています。でも自分の場合は「無理やり職場にアジャストさせていた」ので、生涯の友人ができなかったんだろうなぁと今は思います。

 

■2011年 震災と、「やりたい」ベースの公募異動

2011年に入り、本業の仕事では、年内から活動していた新規事業部門への異動を「社内公募」応募と合格によって合格しました。

このことをその前の部署の上司にご報告にいったら(バリバリ昭和世代)居酒屋で5時間詰められ「誰が育ててやったと思ってるんだ」「裏切者」とボロクソに叱られました。2010年代でもこんなことが行われていたんですよね、、数年後会社を辞める時、この片方の古い付き合いの上司には「もうお前らの時代だと、こういう古い会社じゃないよな」と言われたのも覚えています。節目の時代だったのかもしれませんが、、、自分は絶対に後進や後輩にこういった事は言わないようにしよう、と強く思った出来事でした。

ダイちゃん

 

この出来事の少し後に、東日本大震災が起きました。

後悔の無いように生きたいという思い、いつ人生が終わるかわからない。
本当にたくさんのことを考えた日々。自分の命はいまここにある。けれど、、

このままでいいのだろうか?そういう思いは強くあったけれど、まだ東京を離れたり、今までの生き方をやめるまでの思い切りはできなかった。

日本全体が重いムードに包まれる中、次の展開に向かいました。

 

■2012年、生き抜き、写真に出会う

自分で選んだ新たな部署で奮闘しつつ、どこか「物足りなさ」を感じている自分もいました。
このままこの会社で働き続けて本当にいいのだろうか。

それでも自ら挙手して選んだ舞台。毎日遅くまでできる限りのことをやり、必死で働きました。

1年近く経過したころ、部門にメンタルヘルスで重症を負う人が同時に2名も出ました。10人そこらの部門で同時に2名は、異常事態です。
原因は、どちらも部門責任者による圧迫とハラスメント。。(片方の人はそのあと2年ぐらい復帰できず退職したと思います。その後の人生を思うと本当に冗談では済まされない。。人は壊れるんですよね。)
自身の直属上長も「困ったら徹夜」というスタイルの上司。
本当に上司運がないな。。と思い返して自覚しています(笑)※でもこの頃は自分が悪いんだ、、と思っていました。

置かれる環境は自らの選択だし、人のせいにしてはいけない、といわれることもある。他責思考は私もあまり好きではないのですが、こればかりは別物でした。これを自責に置き換えると人は病むんだと思います。このときのことを思い出して、少しくらい無責任で適当なほうが、人は長生きできると思いました。

今考えると、その時の上司にせよ、パートナーにせよ、「欠落した自分」「自信のない自分」が引き寄せてしまっている相手が「支配型」「弱みに付け込んでくる相手」だったのかな、、とも思いました

ダイちゃん

 

 

そうした怒涛、苦悶の日々の中、大きく人生を変える「写真」と出会います。

 

2013-2014 とにかく撮って、見せて、作り続けた

それまでの映像制作で「人を撮る」ことの面白さを痛感した自分は、2012年、より真剣に「写真による表現」を学びたいと思い人生初のフルサイズ一眼(Canon EOS 5D MK3)を購入しました。相当額の投資でしたが、それまであるいみ「おもちゃ」に近いカメラしか使ったことがなかった自分にとって、「フルサイズ」という「プロが使い込む本物」のカメラで撮れた写真は革命でした。

購入してはじめて撮影したのが、親友夫婦のウェディング記念のフォトブックでした。
※ここでお見せできないのが残念ですが、、

そこから人物写真の面白さに目覚め、写真賞の受賞や個展、グループ展出展などを経験しました。

自身の写真との向き合い方がガラッと変わったのが、この1枚でした。この写真のおかげで、銀座でのグループ展に参加させてもらったり、いろんな写真つながりができました。

写真を始めて知り合ったつながりや、知ることができた世界は計り知れず、自身にとってかけがえのない礎となっています。

全然更新できてませんがポートフォリオサイトもあります

 

※ここ以降はちょっとづつリライトしていく予定です。まずはリリースということでUPしてみています。

2015−2016年

この時期は僕の中で「暗黒期」です。今でも振り返りたくありません(笑)
一言でいうと「欠落した自尊心に、強烈なエゴで付け込まれて、破壊されかけた期間」でしたね。

いつか時が来たら書こうと思います。聞きたい人は直接聞いてください(笑)
人間が大嫌いになった時期でした。

 

2016年11月 料理に出会う

本当に大変な2年間を生き抜き、、、それまで殆ど自炊をすることがなく、不規則な生活とバランスの悪い食事で体調を崩す中で「食べ物から変えよう」と思い立ち、料理を始めました。

本格的に料理に目覚めたのは2017年3月、渋谷の料理教室「いただきます」で学んだことが大きかったです。

日々試行錯誤をしながら、2019年1月より「煮込みスト」としての活動を開始しました。

この記事で綴ったのは2016年末までのこと。

2017年 料理研究家活動のスタート

2017年から2019年、包丁ももたずキッチンにも立たなかった僕が料理研究家になるまでの軌跡は、下記の記事でご覧いただけます。

こちらを読んでいただくと「どんなふうに料理にのめり込んでいったのか」がわかりやすいと思います。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

 

私のブログがあなたの人生と料理ライフの一助になれば幸いです。

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料理研究家、料理で人生を楽しくする人。2017年、会社勤めの激務やストレスで体調を崩したことをきっかけに自炊経験0から料理を始める。食の改善で心身が回復し、料理にのめり込む。2019年より煮込み料理研究家(煮込みスト)として活動開始。2021年からは企業レシピ開発や料理の連載、地上波TV出演など活躍の幅を拡大。2022年2月、料理で人生を善くする人を増やしたい思いから、料理の楽しさを伝える活動「Cooking For Life(クッキングフォーライフ)」をスタートし、料理教室やケータリングを行う。美味い飯と酒マニア、音楽好き。料理と食への探究心は人百倍で、お客様から「メールや提案の文字から味がする」「美味いへの発想が無限」と言われるほど。2022年、初のFMラジオ出演に続き農林水産省からの熱烈なオファーで「NIPPON FOOD SHIFT」活動における「ニッポンの食NEXT座談会」に出演し日本経済新聞に掲載。大分県出身、都内在住。※「煮込みスト™」は料理研究家ダイちゃんの登録商標です。
詳しいプロフィールはこちら

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