毎日の料理が楽しくなれば、人生はもっと愉しい

【料理と写真】被写体に自らの分身を採用する、ということ

 
この記事を書いている人 - WRITER -
料理研究家、料理で人生を楽しくする人。2017年、会社勤めの激務やストレスで体調を崩したことをきっかけに自炊経験0から料理を始める。食の改善で心身が回復し、料理にのめり込む。2019年より煮込み料理研究家(煮込みスト)として活動開始。2021年からは企業レシピ開発や料理の連載、地上波TV出演など活躍の幅を拡大。2022年2月、料理で人生を善くする人を増やしたい思いから、料理の楽しさを伝える活動「Cooking For Life」をスタート。全国各地で料理教室や出張料理を行っている。美味い飯と酒マニア、音楽好き。料理と食への探究心は人百倍で、お客様から「メールや提案の文字から味がする」「美味いへの発想が無限」と言われるほど。大分県出身、都内在住。
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私は料理を始める前からフォトグラファー、写真家をやっている。
 
しばしば「被写体にカメラを、レンズを向ける」ことのリスクを考える。
人にカメラを向けることは、この上ない暴力の可能性を孕む。
 
相手を傷つける可能性の前提で臨むべきだと、常に思う。
 
相手との信頼関係がない場合はそれ以前の話だが、仮に関係が構築されていたとしても、傲慢さや押しつけがそこにあると相手の尊厳を大いに傷つける結果につながる。
スチール(静止画)には、前後の文脈を切り捨てて瞬間だけを見せる強さの、裏腹としての「説明の省略」があるし、ムービー(動画)はまた、「相手の素やプライバシーにそのまま土足で踏み込んでいく」一種の蹂躙性すら孕んでいる。
要は、しっかり認識しておくべきこととして、カメラは、それ自体が「武器」なのだということだ。
 
 
向ける対象について、常にカメラを手にするフォトグラファーは配慮と敬意を持つべきだと思っている。
 
そういったことを考えると同時に、私は料理研究家でもある。
 
その日自分のためだけにいつも通り作り、食卓に並べたその料理にカメラで向き合い、丁寧に写して人に見せることは、誰かにとっての食体験と癒しになる。
 
本来ならただ作って、食べて、咀嚼嚥下して、片付けて終わる。
自分の日常や、生活に閉じた、それだけのもの。
 
そこに、他者をポジティブに巻き込んだ抑揚すら生まれる。
 
なんなら、料理のコンテンツを価値として発信することの本質とすらもはや思うことでもある。
 
料理という表現方法と、被写体そのものを自らの手でクリエイティブに作り出すことが出来る。
しかも、その被写体自体を食べて、自分の体を通してエコサイクルに循環させることすらできているのである。
 
写真家にとって料理はアウフヘーベンに至る、この上ない気づきを得るためのヒント足り得るのかもしれない。
 
カメラや写真で作り出すひとの肖像権の取り扱いの難しさや、被写体への配慮がなされるようになった「まともになってきた時代」だからこそ、今一度何故それを撮るのか?という思考をするのに、自分の場合料理は大きな1役を買ってくれている気がする。
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料理研究家、料理で人生を楽しくする人。2017年、会社勤めの激務やストレスで体調を崩したことをきっかけに自炊経験0から料理を始める。食の改善で心身が回復し、料理にのめり込む。2019年より煮込み料理研究家(煮込みスト)として活動開始。2021年からは企業レシピ開発や料理の連載、地上波TV出演など活躍の幅を拡大。2022年2月、料理で人生を善くする人を増やしたい思いから、料理の楽しさを伝える活動「Cooking For Life」をスタート。全国各地で料理教室や出張料理を行っている。美味い飯と酒マニア、音楽好き。料理と食への探究心は人百倍で、お客様から「メールや提案の文字から味がする」「美味いへの発想が無限」と言われるほど。大分県出身、都内在住。
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