料理を続けている理由を突き詰めたらマインドフルネスに辿り着いた話
こんにちは、ダイちゃんです。
あなたは「好きなこと」がありますか?
そして「なぜそれが好きなのか」「なぜそれをやるのか」を考えたことってありますか?
目次
実はここ数ヶ月、昔ほど料理が楽しくなくなっていました
「なぜ好きなのか?」「それをやるのか?」を考えるきっかけになったのは、他でもない私自身が
この数ヶ月「以前ほど料理をすることが楽しくなくなっていた」からでした。
TV出演の機会をいただいたり、ビジネスへの転換・拡大を考える中で、
「上手に、優れたプロフェッショナルとして素晴らしく料理をしなければならない」
「料理そのものにお金を払ってもらえるように、自由以上に正確にやらなければならない」
「自分自身の価値を自分の想像以上に増幅して、ビジネスとして成形せねばならない」という呪縛にどんどん囚われていってしまった。
「お金にならないと意味がない」という思い込み。
もちろん私自身金銭的成功はしたいし、場所や時間にとらわれずに、人生を有意義に過ごすためにはお金は絶対に必要だと思います。
ただ、「料理で稼がないといけない」という重圧が自分から楽しさを奪っていったのも事実。
以前のように、インスピレーションに任せて作りたい料理を作ったり、たまたま手に入った食材を好きなように調理したり・・「自由に、ただ楽しむ」ことを忘れていたような気がします。
料理を始めた頃の気持ちと、続ける理由を考えた
このままでは料理自体が苦行に変わってしまう。「これではしんどいな」と思いました。でも、日々自分の食事は作っているし、それ自体は続いています。
苦しくて仕方なければとっくにやめているはずだし、
そこで「なぜ料理をするのか」を料理を始めた頃の気持ちを記した記事を自分で読み直してから、今一度思い出してみようとノートに文字を走らせてみました。
「人と集まって楽しく食べることが楽しい」
「場を作って、機会や交流が生まれることが生きがい」
ここまで書いてみて、たしかにもっともらしいし、わかる気もするとは思ったのですが、同時にこうも感じました。
「それ料理じゃなくても得られるし、人が集まるのは派生的だよな」
「人が集まらないと意味がないんだったら、毎日料理してないよな」
だとしたら・・と思い、こう考えました。
「料理をしているときの感覚や、状態にヒントが有るのかもしれない」
料理をしているときの感覚は「今、ここ」
「人が集まる」というのは、あくまで自分の外側の話でした。
なので、逆のアプローチで、自分の内側・・料理をしているときの状態や、感覚にフォーカスしてみました。
【どんな状態で料理と向き合っているのか?】
・リラックスしている
・瞑想に近い感覚を得ている
・今ここに集中している
・余計なことを考えない、過去や未来のことに意識を向けていない
・嫌なことを考える隙間をなくしている
・最小限の成功体験を積み重ねていく感覚
・がんばった分インセンティブ=美味しいごはんになって返ってくる
・セルフケアとして毎日重ねた結果、他人にもシェアできる
とにかくお金にする、誰かに振る舞う、人が集まる・・・どれも「外側」のことで、そのために技術を磨いたり、有名な人や売れている人を参考にしたり、、そりゃぜんっぜん楽しくないわけです(笑)
前述しましたがもちろんお金は欲しいし必要です。たくさんお店を回って研究したい。
もっといい家、キッチンを住環境に持ちたい。行動を経済力で制限したくない。
好きなときに好きな場所で好きなようにすごせるようにしたい。それは変わりません。
でも、まずは「本当にどうしたいのか」がないと、きっと終わりのない「もっと」が待っている。
ぶつかって、反動で向き合って考えたことで、気づけたこと。
そして、この感覚や向き合い方、もたらされる効果(瞑想状態を作り、自分もケアして、人に料理でシェアできる)は、今の鬱屈とした時代にとても必要なことではないか?とも強く感じました。
料理に向き合うスタンスにこそ価値が詰まっていた
料理を作ること、人と食を囲むこと以上に、
「キッチンで料理に向き合っているときの状態」が大切だということへの気付き。
その気付きの傍らで、自分がとにかく「上手に、クオリティを上げる」ことに囚われていたことに気が付きました。
もちろん何かを極めようとするときに、基本を覚えて、ひとつひとつテクニックを深堀りしていくことは避けて通れません。
私自身も料理においてそれを大切にしてきた。
ですが、基本的に終わりなき探究です。どこまでも続けていくもの。
さらに誰かと比べ始めたら永遠に満足できないので、自分の基準でどれくらい上達したかを冷静に見つめることを心がけています。
やはりそれでも、観点が「上手さ」「クオリティ」だと、全く他人を気にしないわけにも行かず、
「自分より長くやっている人はたくさんいる」「もっとハードに質高く戦っている人がいる」と負い目になってしまう。
もう、それはやめよう、と決めました。
始めたばかりの頃の気持ちを思い出した
原点に立ち返る。まずは自分自身を大切にして、信じる。
自分が料理を始めた4年半前は、人生のどん底から戻ってきたばかりの頃。
自分も他人も信じることができない、最悪の状態でした。
そんな心も身体もボロボロの状態で、自分の心を癒やしてくれたのが、食であり、食を通じた出会いであり、料理だったんですよね。
それまでほとんど手にすることのなかった包丁を持ち、慣れないキッチンに立つ。
ドロドロした感情や怒りや恨みや、自分を蔑ろにした人間への復讐心に囚われていた思考を、無理やり振り払うのではなく認めながら、料理をしている間だけはそういった負の感情から解放される。
自分が作った料理をもっと美味しくしたいと本を読み、動画を見て、教室に行き、学び、改善して、自らに還元していく。
そうして料理に向き合う時間を増やしていき、少しずつ自分への信頼を回復させていったんだと今なら思える。
そんな自浄を繰り返して、やっと「人にもシェアしたい」という気持ちになれた。
自分が作った料理をツールにして、食卓を囲むことで、自分が料理と向き合って受け取ってきた価値をシェアしているようにも、今なら思える。
提供しているのは食べ物や美味しさ以上に「自尊心や自信を自らが自らの手で取り戻した事実」のようにも思う。
「虚飾しない自分そのものでそこに存在して、疑いなく食卓を囲む人たちへ提供している愛情」なのでははないか?とも感じている。
自分を癒やして、幸せを内から満たして、マインドフルな状態を作り、それをシェアする。
その副産物であり、可視化したものが、料理であり美味しいご飯。
マインドフルネスとクッキングをかけ合わせた、言うなればマインドフルクッキング。
そんなふうに考えたのでした。
おわりに マインドフルクッキングがもたらすこと
料理を作ることは手段であり、マインドフルな状態を料理を通じて作ること。
「私はなぜ料理をするのか?」という問いが、この一つの仮説を導き出してくれました。
これが正解か不正解かにあまり意味はないと思うけれど、まずはこの仮説が、自分にとっては大切な真実であるということを日々の自炊や料理で体感していき、またこうして文章にしていこうと思います。
料理という行為と、そして料理をする時間とどう向き合うか。
レシピはそこで作った料理の手法とプロセスの可視化であるのなら、料理をすることで受け取っている価値や、感じた感情を文章にすることも、またひとつの大切なアウトプットだと思います。
このことを意識して、下記の3つを試してみるつもりです。
「料理をしているときのマインドフルな状態に感謝して、それを人に伝わるように言語化する」
「料理をすることで受け取っている価値を言語化して、シェアする」
「それらのアウトプットとインプットを繰り返し、体験と質を深めながら発信を続ける」
まずはブログと、Twitterを使ってやってみて、自分の型にしていこうと考えてます。
形ができてきたら、オンラインで読者さんとつないで、マインドフルクッキングをシェアする場も持てたらと思います。
さあ、まずはやってみよう!
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