ありがとうを返し、贈る旅を始めようと思った話
連続更新165日目、ありがとうございます。今日は、2020年下半期を迎えるに当たり、上半期に自身が経験してきたことを想い、ふっと心に降りてきた生の言葉を夜中に歩きながらスマートフォンで書き、SNSで投稿したものがとても反響をいただいたので、一部編集したものをブログ記事に残したいと思います。たまにこういう記事(SEOも資産性も気にせず、アーカイブとして書くもの)があるのも、自分ではいいものだと思っています^^
ダイちゃん
控えていたお酒を、上半期本当によく頑張った自分を労いたくて封を開けて、つい会いたい人達に会いに好きな街に足を伸ばしていたら、こんな時間になっていました。
本当に久しぶりに国道246沿いを深夜に歩いて、風のつんざく音と、新しい季節の幕開けをがなり立てる雨の音を聞きながら歩いています。
1.2生まれなので38歳と6カ月、明確な自我を持ち過ごした年数を28年くらいとカウントすると、とてもうまくいけばあと2.2ー3回でしょうか?28年は。
家族を持て、子供を持って一人前、みたいな通念を言われるたびにそんなもん人それぞれだと思ってきたし今も変わりませんが、持ってみないとわからない何かを敬う気持ちはありますし、否定もする気はありません。
ただ、少なくともぼくは、仮にこれから38年いただけるとしたら、今知りうる愛すべき人達や、これからまた出会うであろう愛すべき人達のために、自分には何ができるか?ということばかりを考えています。
多くのお金を稼ぎ、「誰か」に勝ち、物理的な欲求を満たして、社会における慣性の高みに誇る。
それが疑う術のない正解だと思った時期は長かったです。
だけどいまは、正解もゴールも無く、ただ日々ベストを尽くした先にある、納得と感謝の上で自らの目と脳と感性で見据える景色こそが、仮に言葉を当てはめるなら、幸せとか、納得感だとか、そう言ったものになるのだろうな、となんとなく思っています。
信念でもなく、至りでもなく、今感じることです。移ろうこともあるでしょう。
ですが、かつて揺れ動き惑い、道を見失った自分はもういません。
迷いは無意味であり、信と義があって、限られた体力と時間をどう配分して、行動するか。
それがすべてだと思っています。
惑い、憂い、欠落を埋めるがために人の好意を貪り、彷徨う日々は、私が決めることではないですが、終わったと見えています。
人にもらってきた徳を、料理で、写真で、言葉で、人間そのもので多くの人に贈っていくんだと思います。
ありがとうを返し、贈る旅です。
それを真摯にやっていくことで、お金には困らなくなるでしょう。
そこからが本当のスタート。
だから今、自分のエネルギーのこと、お金のこと、心、身体にプロフェッショナルとともに向き合っています。
結果が出始めていることは、以前から、また最近私と繋がった方にはお分かりいただけていると思います。
作り笑いをしなくても、もう笑える。
優しいあなたのおかげです。
過去のあやまちがかたちどる傷も、ただれも、ケロイドも、全てぼくであれば
その痕跡さえも轍にして、物語にして、また明日を行きます。ベストを尽くして。
時に休み、時に踏ん張り、走りましょう。
皆様の2020年下半期がより輝かしくあるように。180日後に美酒の杯を交わせるように。
じゃ、始めましょうか。