【Photo Report:前編】snow peak LOCALWEAR TOURISM ICHINOSEKI 2nd
※この記事はnoteで投稿した
のレポート記事をブログ用にリライト・再編集したものです。
個人的に力作ですし、好評だったので転載しました。ご一読ください。 ダイちゃん
【Photo Report:前編】snow peak LOCALWEAR TOURISM ICHINOSEKI 2nd
煮込みストのKUMAです。
久々の投稿ではありますが、11月9日、10日とスノーピークのローカルウェアツーリズムに参加してきました。
内容はこちらに詳しいです。
→リンク先がすでになくなっているようです
【前編、後編総合もくじ】太字が前編で記述分
(初日:11月9日)
1.一ノ関駅到着~キャンプ地「骨寺村荘園遺跡」
2.一関市街地「京屋染物店」工場と店舗探訪~山桜桃の湯
3.キャンプ地へ帰還、地場食材BBQと焚火ラウンジ
(2日目:11月10日)
4.「荘園遺跡」散策~地場食材の朝食
5.五感市オープンファクトリー3か所(岩谷堂タンス製作所、彫金工芸 菊広、佐秋鋳造所)
0.はじめに
参加は会社員の仕事として、なのですが、
ひとりの人間、そして煮込みストとしての「一見関係なさそうな価値や人をつなぎ合わせたい」という価値観、立ち位置や、
KUMA Photography(写真家)としての技術を生かした撮影なども行ってきたので、きちっとした報告書は仕事のほうでもやる
として、こちらのnoteでPhoto Reportをまとめようと思いました(こういう時に自分の立場、立ち位置の表現が難しいですよ
ね。。。でも文章技術や写真技術は個人の投資で身に着けてきたことなので、今回はいったんそう切り分けます)。
なのであくまで「ツアーに参加した1ユーザーの視点」で書いてみようと思います。
多くの人にこのツアーの魅力と、一関市の人の素晴らしさや、美しさや魅力を伝えたい。そして、感情がホットなうちに残したい。
あくまで、フラットな参加者としての所感をレポートします。クロストークの詳細や伝統技術の細かな解説や詳細は、体験や体感を得ることを優先していたため細かなメモはとっていないため、取材に入られていたプロのレポーターの方々の描写に任せたいなとも思っています。
※かけるところは書いてみますが
では始めます。かなり長くなってしまうので、書き上がったあとに場合によっては前編、後編にわけるかもしれません。
→めちゃくちゃ時間かかりそうなので分けてみることにしました
※写真、文章の無断転用は固くお断りいたします。
1.一ノ関駅到着~キャンプ地「骨寺村荘園遺跡」
11月9日朝、予報よりも曇った東京の空。
人生で初めて降り立つ「岩手」の地も、東京の空を引き継ぐようなダークグレーでスタートしました。
一ノ関の駅(一関市、なのですが駅名は一ノ関 理由は調べたけどわからなかったので教えてもらえたら追記します)に到着し、東口へ
ちなみに集合場所が分からなくて最初は西口に行ってしまった私
ひるがえって、東口には工業製品展示がありました。
いわいどり、気になる・・こういう工業製品展示、実は大好きで、初めての土地に行くと必ずチェックします。
今回のツアー窓口を務めてくださっていたスノーピークの若杉様がピックアップにお越しくださり、無事ツアーバスに登場して、今回のキャンプ地である「骨寺村荘園遺跡」へ。
到着するとウェルカムドリンクの名産リンゴジュースとともに、スタッフの皆様がお出迎え。
ヤング女子のスマイルウェルカムにおじさんも笑顔(いつの表現だ)
そして早速の「餅つき体験!」
いきなりの刺激的な(?)アクティビティに、参加者もにわかにテンションが高まる。
ついてから味をつけたのがこちらです、、ということで、完成品!あんこ、きなこ(的なもの・・詳細忘れました)、納豆の3種でいただきます。
しかしええ餅!(笑い飯風に。これ今の若い子わかるのかな?)
ペロッといただきました
そうして最初のコンテンツのトークセッションへ。
株式会社スノーピーク 副社長山井さんと、京屋染物店専務取締役 蜂谷さんの対談。
おふたりのプロフィールはこちらに。
司会はスノーピークのアパレル営業部加藤さん
※しかしみんな「あのニューバランス」履いてるな。。スニーカー、ニューバランスしか持ってないくらい好きだから超欲しかったけど、28cmがなくて諦めました。。もう生産されないんだろうなぁ。無念。
しかしその司会の加藤さん、
京屋染物店(きょうやそめものてん)をスムーズに言えないという大変ニッチな呪い
にかけられているのではないか?というくらい終始噛んでいらして、思わずこの苦笑い表情。。きょうやそめも、、ああん!みたいな。みんなで応援。
思わぬ要因で場があたたまったところで山井さんのご挨拶へ。
今回のツアーへの想い。最低気温6度まで冷える中だけれど、Snowpeak Wayとはまた違ったふれあいを楽しみたい、という趣旨を丁寧に語っていただきました。
※Snowpeak Wayについてはこちら
引き続きのあいさつは骨寺村荘園遺跡 交流館の館長 五十嵐さん
館長シブすぎたため、ついついモノクロ写真(FUJIFILM X-Pro2 フィルムシミュレーション ACROS-G)で撮影してしまいました、すみません。。
続いて京屋染物店 蜂谷さんのあいさつ。夏の1stのツアーの暑さに反して一点冬の寒さだがぜひ楽しんで、と。
そしてトークセッションへ。
詳細はプロのレポーターのレポートに任せよう、、と思っていたのですが、可能な限りの手元メモをもとに書いてみようと思います。
(このセッション、想い、ストーリーをインプットするかどうかで、このツアーの感じ方が大きく変わる、と思うので、このツアーでのセレンディピティやインスピレーションを強く感じている私としては、この部分もこの記事の読み手に伝えたい、と想いました。言葉足らずや欠ける部分もあるかもしれませんが、お許しください)
山井梨沙さんがスノーピークのアパレルラインを立ち上げたのが2014年。キャンプで着ていても、街で着ていても違和感のない服を創りたい、という思いがあったそうです。また、地方の良質なアパレル企業が年に1−2社潰れていく、、、声もあげられないまま消えていくという現状から「このままではアパレル、ものづくりが日本でできなくなるのではないか。。」という思いがあったそう。
※僕自身も畳屋の息子として生まれ、地方で伝統産業などがあっけなく途絶えていくのを見てきたので、理解できました。。
生まれた土地である岩手で、ご縁で京屋さんに出会い、「人をつなぐ(キャンプを通して/祭りを通して)」という共通点の「必然の出会い」だったといいます。
一方の蜂谷さん。もともとスノーピークのギアのファンで、娘さんもキャンプ好き。奥様も一緒に家族でキャンプを趣味として、ギアもスノーピークで揃えるほどのファンだったそうです。しかしながらそうしたミーハーな(ご本人談)気持ちだけではなく、根底のミッション、思いの部分で合致したからこそ、一緒に仕事をできることになって感慨深かったとの談話。
蜂谷さんも、父上から家業を現社長のお兄様と2010年に継ぎ、必死で仕事をする中で起きた2011年の震災で、大きな変化があったといいます。
京屋染物店は祭りの半被や袢纏を創る会社。つまり「祭り」が行われることが、ビジネスにおける大きなプレゼンスを占めている。
ところが、震災後は完全な自粛ムード、とても「祭りで元気を出そう」といえる状況ではなかった。
そうして途方にくれているときに、「奇跡の一本松」で有名な陸前高田市から、ボロボロになった袢纏が届いたそうです。
「津波でボロボロになってしまった。直してほしい」「今こういうときだからこそ、地域を、人を元気づけるために祭りをやるんだ」と。
袢纏、という文字は「絆をつくる、つなげる」という意味を持っている、と蜂谷さんは話します。(袢きずな を 纏つむぐ)
絆を、つながりを、袢纏、半被を通してつくる、ということ。
しかしながら、染め物の会社は100年前の日本の14000社から、300社にまで減ってしまったといいます。一関市も人口減少率全国ワースト2位。
だからこそ、今回のツアーやご縁で、ご一緒することで伝統文化や一関のことを知ってほしい、と伝えてくださいました。
そうしてものづくりでご一緒して、「スノーピークのアパレルラインというものが、大切であり必要である」と説きました。
※KUMAの個人的な思いとしては、私はもともとキャンプをする人間ではなかったのです。そこがひょんなことからスノーピーク表参道店の店長である杉山さんと出会った。
しかしこれもうちょい写真あるだろ・・・俺に言ってくれればいいのにw
そうしてアパレルからスノーピークを知り、翌年から会社の仕事でもご一緒するようになり、、とご縁が深まっていった。でもその起点は梨沙さんが立ち上げたアパレルがきっかけだったのです。
本題に戻って。。
蜂谷さんがおっしゃっていたことで印象的だったのは「伝統産業をただ同じ形で伝えるのではなく、伝えるために進化させていく」という言葉。
普通なら、「そのイズムを同じ形で伝える」「そっくりそのまま、しっかり受け継ぐ」と考えてしまうもの。
でも、蜂谷さんは「偉大な父を受け継ぎつつ変化させる」と心に決めた。
梨沙さんも「スノーピークというブランドを新たな形でも広げる」とアパレルラインを始めた。
そこで二人の「後継者たち」が交わって、LOCAL WEARが生まれて、このツアーも生まれた、というクロスポイントが生まれて、私や他の参加者さんや、アパレルの事業に関わる社員さんがいる、、
脈々と受け継がれてきた根っこ、源流に、交わる点と線。
その印象的なエピソードがもう一つ語られました。
このツアーを準備しようと蜂谷さんが奔走する中で、どこを拠点にキャンプをするか、が難航していたそうです。各地で断られ続ける中で、五十嵐館長だけが二つ返事でOkしてくれたそう。
「なつかしいなぁ」
なんと、五十嵐館長は、今は亡き蜂谷さんの父上と同世代で、一緒に地域づくりをしていたんだそうです。その話をされるまで、知らなかったそう。
源流が交わり、思いが流れに乗って、新たな時代にまた、交わったのですね。
トークセッションのあとはテント設営体験。ラウンジシェルはたてなれた自分ですが、今回はアメニティドームM。
不安にかられる私を救ってくれたのが、スタッフの青木さん(広島カープ 菊池涼介似)。
私だけではなく全参加者数グループに1名、スタッフさんがついてくれていたのですが、過去何度か説明を受けたことがある中で、青木さんの説明が抜群にわかりやすかった!!
20分足らずであっという間に設営を完了することができました。
※よくよく聞いたらレクチャーもものすごい数を店舗でこなしているスーパー凄腕スタッフだった。そりゃわかりやすいわけだ・・・
前室へのアクセスも抜群。スリーピングマットと寝袋(オフトン)も完備で、かなり快適な住環境。
設営を終えて、次のコンテンツのために移動です。
2.一関市街地「京屋染物店」工場と店舗探訪~山桜桃の湯
蜂谷さんの想いをぞんぶんにインプットしてから、染め物体験をするために京屋染物店へバスで約30分、一関の市街地へ。
車内では、これから自分たちで制作できる手ぬぐいについてサンプルをご紹介。
工場に到着。女性スタッフが迎え入れてくれました。
今回体験するのは「手捺染」という方法。染料は「エコテックス染料」という、クラス1、世界基準の「300以上」の項目をクリアした「赤ちゃんでも使える」安全な染料での染めもの制作です。
ここからは写真とショートコメントを中心にお送りします。
壁から壁に、天井に平行にLOCAL WEARの文様の一反(12メートル=着物一着分)が張り巡らされていました。
布の上にそれぞれの文様を、予め切り抜かれた素材を並べます。
ふくよかにたたえた染料をヘラで布に伸ばします
参加者の方も楽しんで、手捺染を体験
続々と仕上がった参加者の手捺染によるてぬぐいたち
職人さんの鮮やかな手さばきで、天井に向けて乾燥をするために、凧のようにあがっていく一反。
染めてからの工程の次に、蒸し器に入れる工程。その蒸し器をみんなで見学。
蒸すことで、繊維と染料を結びつけ、色落ちしないようにするそうです、
蒸気が行き渡るように大きめのサイズの蒸し器を用意。蒸したら、洗い場で10回ほど洗います。蒸しの工程で結びつけられなかった染料を、洗い落とすそうです。冷たい温度から徐々に温度をあげて熱湯へ。いきなり温度上げるとすぐ色はおちるものの、白い所に移ってしまうので、クオリティが下がってしまう。なので少しずつおとすということでした。
染め物体験のあとは、縫製の現場も見ることができました。
こちらは企業秘密な内容が多かったので詳細は伏せて、、
とにかく職人さんの手さばきと安心感が素晴らしかった。手先は真っ青でした。爪が染料とタンパク質で同化してしまい、本当に落ちないということでした。私みたいな料理家もやっているものはできない仕事だ、、
そこから、染物店の店舗へ移動。
風情のある公園を通り抜けるのが近道。
LOCAL WEARとのコラボ商品の説明
この日は裂き織りの実演展示も。
私も裂き織りのブローチを購入。お土産にいただいた手ぬぐいをストールにして留めるというアイテムにしてみました。
手捺染が下手くそだったので手に染料がついていますw
様々な手ぬぐいアイテムもお店にたくさん。
体験、店舗見学を終え、ここから温泉へ移動。
残念ながら浴場なので写真はありませんw
風呂上がりの生ビールは格別だった
一旦、前編はここまで!
キャンプ地帰還後の焚き火ラウンジの様子や、翌朝の骨寺村荘園遺跡の素晴らしい朝の風景は後編でお伝えします。
すでにまた次のツアーが楽しみなくらい得るものが多い旅だったよなぁ。後編も読んでね! ダイちゃん
後編はこちら