「友達」より「好きな人達」
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料理研究家、料理で人生を楽しくする人。2017年、会社勤めの激務やストレスで体調を崩したことをきっかけに自炊経験0から料理を始める。食の改善で心身が回復し、料理にのめり込む。2019年より煮込み料理研究家(煮込みスト)として活動開始。2021年からは企業レシピ開発や料理の連載、地上波TV出演など活躍の幅を拡大。2022年2月、料理で人生を善くする人を増やしたい思いから、料理の楽しさを伝える活動「Cooking For Life」をスタートし、料理教室やケータリングを行う。美味い飯と酒マニア、音楽好き。料理と食への探究心は人百倍で、お客様から「メールや提案の文字から味がする」「美味いへの発想が無限」と言われるほど。2022年、初のFMラジオ出演に続き農林水産省からの熱烈なオファーで「NIPPON FOOD SHIFT」活動における「ニッポンの食NEXT座談会」に出演し日本経済新聞に掲載。大分県出身、都内在住。
以前より「ダイちゃんは友達が多いよね」と言われるけれど、
友達という言葉の曖昧さが苦手で「うーん」と言葉を濁すことが多かった。
そもそも「俺たち友達だよね?」とかいちいち確認しないし。
理由を考えて見たら「親友」と自ら名乗るような人は実は信用ならなくて、
非常事態にあっさり掌を返した過去があったから。
その結果を招いたのはそこに過度な期待をした自分も含めて、だけど。
今は「好きな人達がたくさんいる」ということにしている。
別に理由なんてなくて、人生の邂逅の中でつながって、関係性がつながっている人達のこと。
人と人としての敬意を保ち合いながら、それでいて肩の力を抜ける人。
僕の好きと、その人の好きの釣り合いとか種類とか考える必要もない。
僕が好きなのだし、相手も楽しんで笑っていてくれたらいい。
ここのところはその「好き」に対して照れや迷いや恐れがなくなってきた気がする。
結局いままでは「相手にどう思われるか」ばかり気にしていたからだろう。
いまは、「僕はこんな感じだけど」というゆるさでいる。
どっちかや、何かの方角に定めなくてもいい。
人も、人生も、もっと曖昧で感覚的で、しばしばいい加減なバランスの上を泳いでるんだ。
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料理研究家、料理で人生を楽しくする人。2017年、会社勤めの激務やストレスで体調を崩したことをきっかけに自炊経験0から料理を始める。食の改善で心身が回復し、料理にのめり込む。2019年より煮込み料理研究家(煮込みスト)として活動開始。2021年からは企業レシピ開発や料理の連載、地上波TV出演など活躍の幅を拡大。2022年2月、料理で人生を善くする人を増やしたい思いから、料理の楽しさを伝える活動「Cooking For Life」をスタートし、料理教室やケータリングを行う。美味い飯と酒マニア、音楽好き。料理と食への探究心は人百倍で、お客様から「メールや提案の文字から味がする」「美味いへの発想が無限」と言われるほど。2022年、初のFMラジオ出演に続き農林水産省からの熱烈なオファーで「NIPPON FOOD SHIFT」活動における「ニッポンの食NEXT座談会」に出演し日本経済新聞に掲載。大分県出身、都内在住。